想いがふくらむとき

 ちょっとだけ長い文章('ω')
 お久しぶりです、神谷京介です。

 noteを退会した直後は、若干WEBプラットフォーム迷子(?)になっていた世瞬舎でしたが、こうしてホームページも無事に作成がおわり、ブログもゆっくりと始動しています。


 ありがたいことに日々いろんなことが進んでいて、うれしい出来事もたくさん、それはたとえばもっとおおきな会社から見れば、ごくちいさな規模かもしれませんが、僕たちにとっては、一期一会が数日に一度来ているような、とても幸福な瞬間を見ています。
 それらの中には、結局世に出なかったとか、仕事として手を結ばなかった出来事ももちろんありますが、すべて含めて一期一会、のように感じます。

 ずっと一人でものを書く日々だった少し昔が、今はどこかちがっていて、ふと振り返ってみれば、そうした様々が思い出されてきます。


 こう書いていて、なんだかおめでたいやつだな、と自分でも思います(笑)


 一方、事業としてこの活動が軌道に乗る日はまだ遠く、マネージャーや担当デザイナー様をはじめとした大切な仲間に腰を落ち着ける場所を用意したいのに、なかなかできなくて、だいぶ途方もないなぁ、と沈むときもあります。


 そうなんです。おめでたいばかりではないんですね、人間なので。
 そして、この人の世で生活をつづけなければならないという行為が、ともすれば僕が追い求める芸術や文学と相反するもののような、もどかしい気持ちもあったりします。
 ほんとうはすべてが密接に結びついていて、生きて、食事をして、命をとったりとられたりしながら芸術が生まれたのでしょうし。だからこそ、不要不急……といった言葉にはもう最初から違和感があって。なんていうか、勝手に芸術が、生活や経済といったものと同じ土俵に乗せられている感というんでしょうか。同じ土俵というか、経済っていう土俵に乗せてもらってる、みたいな……。

 と、このように実はいろいろと考えることは多くて。だけども日々のたくさんの出来事の中、筆をとる機会もなかなかつくれず(ブログつくったのにね)、みたいなところでした。


 ここは世瞬舎のブログなので、今の自分の気持ちを載せるのはどうなのかな? と思わないでもないですが、かえりみれば、僕は自分の生き方や働き方をずっと探していて、どうやら小説や本が好きなのだな、と気づいたのもずっとずっと前なのに、ちがうこともずいぶんたくさんして、そしてようやく昨年たどり着いたのが、”世瞬舎”という、小説家としても、本の制作者としても、生活者としても、芸術家としても、すべての自分を受け入れてくれて包括できるこの場所なのでした。


 だから、わりとなんでも書いてもいいのかなっていう(笑)

 あと、ちいさな書店さんの10年以上つづけられているブログを最近ずっと読んでいて、感銘を受けたのもあります。このあてどころのない文章が、いつかそのままちいさな歴史や年表になる可能性だってあるんですよね。つづけていけば。この文章も、10年経ってマネージャーと読み返して「なんだか肩肘張ってんなぁ」と笑える日が来るのかもしれません。


 さて前置きが長くなりすぎましたが、最近の世瞬舎では、とてもお待たせしている『未来の言葉』書籍化プロジェクトに付随したいくつかのリターン品制作が佳境に入ってきました。
 制作記を印刷所さんに入稿したり、とある一冊かぎりの本の仕様を決めたり、折本の物語を書いたり。それらとはべつに、とある文芸誌の制作を進めていたり、名刺をつくったり(!)いろいろ良い循環で進み出して、アワアワしてはいるけれどとても充実した本づくりの日々です。


 ブログやSNSでをこまめに発信していくのがよいのだろうけど、それはこれからの課題ですね。公開できない情報も多く、ついつい「できました!の報告(ほんとは数か月ずっとやってた)」ばかりになってしまいます。
 もっと読んでもらう人のことを考えなきゃ。
 ただこの点でいうと、毎日『未来の言葉』とともに写真を撮ってくれてたりもするマネージャーの力がとてもおおきいです。うまく分担して、世瞬舎のドタバタな本づくりの日々をこまめに伝えていけたらいいなぁ。


 なんにしろやりたいことに溢れすぎていて、手が追い付かない幸福にふるえる日々なのでした。


 いずれこれらが、たくさんの実を結ぶ未来に想いを馳せて。
 そして、今でもじゅうぶん実を結んでいる幸福は見逃さないように。
 などなど、とりとめなく考えているのでした。

世瞬舎 Seishun-Sha

2020年に開設したちいさな出版社です。文芸書籍中心に制作、販売を行っています。名前の由来は「永遠と瞬間」。

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