想いがふくらむとき
ちょっとだけ長い文章('ω')
お久しぶりです、神谷京介です。
noteを退会した直後は、若干WEBプラットフォーム迷子(?)になっていた世瞬舎でしたが、こうしてホームページも無事に作成がおわり、ブログもゆっくりと始動しています。
それらの中には、結局世に出なかったとか、仕事として手を結ばなかった出来事ももちろんありますが、すべて含めて一期一会、のように感じます。
ずっと一人でものを書く日々だった少し昔が、今はどこかちがっていて、ふと振り返ってみれば、そうした様々が思い出されてきます。
一方、事業としてこの活動が軌道に乗る日はまだ遠く、マネージャーや担当デザイナー様をはじめとした大切な仲間に腰を落ち着ける場所を用意したいのに、なかなかできなくて、だいぶ途方もないなぁ、と沈むときもあります。
そうなんです。おめでたいばかりではないんですね、人間なので。
そして、この人の世で生活をつづけなければならないという行為が、ともすれば僕が追い求める芸術や文学と相反するもののような、もどかしい気持ちもあったりします。
ほんとうはすべてが密接に結びついていて、生きて、食事をして、命をとったりとられたりしながら芸術が生まれたのでしょうし。だからこそ、不要不急……といった言葉にはもう最初から違和感があって。なんていうか、勝手に芸術が、生活や経済といったものと同じ土俵に乗せられている感というんでしょうか。同じ土俵というか、経済っていう土俵に乗せてもらってる、みたいな……。
だから、わりとなんでも書いてもいいのかなっていう(笑)
あと、ちいさな書店さんの10年以上つづけられているブログを最近ずっと読んでいて、感銘を受けたのもあります。このあてどころのない文章が、いつかそのままちいさな歴史や年表になる可能性だってあるんですよね。つづけていけば。この文章も、10年経ってマネージャーと読み返して「なんだか肩肘張ってんなぁ」と笑える日が来るのかもしれません。
さて前置きが長くなりすぎましたが、最近の世瞬舎では、とてもお待たせしている『未来の言葉』書籍化プロジェクトに付随したいくつかのリターン品制作が佳境に入ってきました。
制作記を印刷所さんに入稿したり、とある一冊かぎりの本の仕様を決めたり、折本の物語を書いたり。それらとはべつに、とある文芸誌の制作を進めていたり、名刺をつくったり(!)いろいろ良い循環で進み出して、アワアワしてはいるけれどとても充実した本づくりの日々です。
ブログやSNSでをこまめに発信していくのがよいのだろうけど、それはこれからの課題ですね。公開できない情報も多く、ついつい「できました!の報告(ほんとは数か月ずっとやってた)」ばかりになってしまいます。
もっと読んでもらう人のことを考えなきゃ。
ただこの点でいうと、毎日『未来の言葉』とともに写真を撮ってくれてたりもするマネージャーの力がとてもおおきいです。うまく分担して、世瞬舎のドタバタな本づくりの日々をこまめに伝えていけたらいいなぁ。
なんにしろやりたいことに溢れすぎていて、手が追い付かない幸福にふるえる日々なのでした。
そして、今でもじゅうぶん実を結んでいる幸福は見逃さないように。
などなど、とりとめなく考えているのでした。
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