文芸誌・世瞬のバックナンバーを公開いたしました

　　東風が最近ものを食べない。「こち、こち」　と呼ぶと、窓の外を見たまま、耳だけくるっと回してみせる。「ここに置いておくよ」　エサの入った皿を床に置くも、東風はまだ窓の外を眺めている。網戸にこれでもか

　五月の風に背中を押されるように、足を一歩踏み出す。　太陽を見上げると、思っていたよりも眩しくて、そっと目を細めた。　いたいた！　　少し前を歩く亮介くんの姿を視界にとらえると、急ぎ足で近づく。「おはよ

　　我輩は猫である。　車道に飛び出して、車に衝突したことを覚えている。「あっこれ死んだな」　と直前には思い、硬直して身体も動かず、「よっし」と思ってぶつかるまえに「バチコイ」と覚悟を決めていたのは覚え

　小さな窓の中で笑っているきみが、一番かっこいいと思う。　程よく重みのある卒業アルバムを膝に乗せ、角に指をかけると自然と三年二組のページで止まった。一面に並んだ小窓にはかつてのクラスメイトの顔と、わた

　「遠くで聞こえるのに、近くで聞こえるんだよ」隣の席で電話をする女の人が、急に声を小さくしてそう言うので、思わず顔を向けた。その細い髪の毛の一本が、テーブルに置かれたカフェオレに入りそうになっているの

　過保護な日本語は踊れるか。穏やかで、かわいらしく、腫れぼったい日本語は踊れると、いったい誰が言うのか。なぜって、その小さな部屋には何もなかった。音楽すらなかった。あるのは最低限の床と、天井と、壁と、

したたかに歩調をはやめ鳩たちは昼のベンチの老人を待つ耳の並ぶ喫茶店にて目を見ずにあたりさわりない話ばかりを平熱に近づくほどに垂れていくわたしの中に幾千の稲珈琲にふとおもいだすわたくしの届かなかった長い

　上がなかった。あろうことか下もない。さらに前もなくどうやら後もない。右や左があるはずもない。光がなく、その帰結として影もない。上も下も前も後も右も左も光も影もないところで上や下や前や後や右や左や光や